こんにちはε-(´∀`; )
先日火の鳥NIPPONの次期監督に”中田久美氏(現久光監督)”の名前が挙がっているとの記事を書きましたが、新たに今回”吉原知子氏(現JT監督)”も候補として挙がったことが分かりました。共に女性が挙がってきていることで更に女性監督の誕生が現実になりそうです。吉原氏のことも少し調べてみました。
吉原氏紹介
生年月日 1970年2月4日(46歳)
出身地 北海道雨竜郡妹背牛町
身長 180cm
体重 60kg
現役時ポジション MB
指高 232cm
利き腕 右
スパイク 305cm
ブロック 295cm
バレーボール歴
小学校ではバレーボールはやってなかったのですね!地元妹背牛中1年生からバレーボールを始めています。
1982年、北海道中学校バレーボール大会優勝。
1985年、道内女子バレーボール部強豪校の地元北海道妹背牛商業高等学校に進学。インターハイに出場した。
1987年、高校3年生で全日本代表初選出。
所属チーム履歴
- 妹背牛中→妹背牛商業高校→日立(1988-1994年)→アンコーナ(1995年)→ローマ(1995年)→ダイエーオレンジアタッカーズ(1995-1999年)→東洋紡(1999-2002年)→パイオニア(2002-2006年)
- 全日本代表 - 1987年、1989-1996年、1998年、2003-2004年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- オリンピック - 1992年、1996年、2004年
- 世界選手権 - 1990年、1994年
- ワールドカップ - 1991年、1995年、2003年
- 受賞歴
- 1991年 - 第24回日本リーグ ベスト6
- 1992年 - 第25回日本リーグ ベスト6、スパイク賞
- 1998年 - 第4回Vリーグ ベスト6、スパイク賞
- 1999年 - 第5回Vリーグ ベスト6
- 2000年 - 第6回Vリーグ ベスト6、敢闘賞
- 2001年 - 第7回Vリーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
- 2007年 - 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞
社会人時代
1988年に高校卒業後、日立に入社しました。
1994年、チームの内紛に端を発した騒動で、大林素子とともに日立を解雇されています。この時代を知っている人には大きな事件でしたね!
1995年1月、日本人初のバレーボールプロ契約選手としてイタリアリーグ・セリエA・アンコーナに入団。翌2月、ローマへ移籍しすぐにスタメンのポジションを獲得、チームを準優勝に導いた。同年、ローマより残留要請を受けていたが、アトランタ五輪に出場するため、ダイエー、オレンジアタッカーズに復帰。
その後、東洋紡、パイオニアへ移籍し、全チームをリーグ優勝に導いた。
1996年アトランタオリンピック以降、当時の日本バレーボール協会による「今後は若手主体で」との決定を受け、年齢を理由に全日本代表から外されるが、センタープレイヤーとしての実力は、日本No.1との評価はその後も変わらなかった。吉原はこの悔しさを力に変え、「年齢に関係なく強い者が上に行くべき。」を証明させるかのように、Vリーグでスパイク賞、ベスト6、MVPを獲得するなどの活躍を見せた。くしくも、吉原のいない全日本女子チームはシドニー五輪行きを逃し、東京五輪より続いていた五輪連続出場は絶たれた。
2003年、女子バレー復活を託され監督に就任した柳本晶一監督から、群を抜いたリーダーシップ、抜群のチーム統率力を買われ「チームをまとめるのは吉原しかいない。」と7年ぶりに全日本に招集され主将に任命された。同年のワールドカップ、翌2004年アテネオリンピック世界最終予選では、柳本ジャパンの精神的支柱としてチームを牽引し、アテネオリンピック出場に貢献した。
2006年5月、膝の故障を理由に、18年の現役生活にピリオドを打った。現在は、スポーツコメンテーターとして、テレビの国際大会中継などで解説者として出演している。またバレーボールの指導者としての道に意欲を示している。
2008年5月、2016年夏季オリンピック招致を目指す東京五輪招致委員会のスタッフに就任した。
2008年7月、筑波大学大学院体育学専攻に推薦入試(社会人特別選抜)で合格した。吉原は大学を卒業しておらず、高卒の受験者が大学院に合格するのは異例で、同院の体育学専攻では初めて。 以前から、周囲に「大学で指導者になるための勉強をしたい」と話していた吉原は個別の入学資格審査を受け、大学を卒業した人と同等以上の学力があると認められ、受験資格を得た。入学後はバレーボール方法論研究室に入ることを希望しているという。
2015年5月28日、VチャレンジリーグのJTマーヴェラス監督
トピックス
日本リーグ・Vリーグで、所属した全てのチームで優勝という華やかな戦績を残し、優勝請負人と言われた。一方で、引退時に所属していたパイオニアを除く、すべての所属チームで解雇を経験している苦労人でもあったが、1992年バルセロナ、1996年アトランタ、2004年アテネとオリンピック3大会に出場するなど、長く日本のトッププレーヤーとして18年間、常に第一線で活躍した。試合では集中しているため鋭く相手を睨みつけるような表情になるが、一旦コートを離れれば、何もない所でよくズッコケるなど天然でマイペースな性格である。彼女自身、VTRなどで自分の顔を見ると「相当怖い」と思うと語った。
東洋紡時代、当時監督だった柳本晶一が試合中コートに向かって指示を出した時に、「うるさいっ!」と監督に向かって言い返したことがある。後に柳本は、「あとで吉原は「ごめんなさい。」と謝ってきた。」と笑って答え、更に「普通、監督に「うるさいっ!」って言う選手がいますか?(笑)でも、こういう選手がチームを勝たせてくれるのではないでしょうか。」と語っている。
優勝請負人と言われる吉原氏ですが、同時にチーム内、スタッフ内に敵も多かったのではないでしょうか?その分苦労したと思います。しかし、こんな吉原氏ですが、あの中田久美氏が全国放送のテレビで怒鳴りつけた時のキャプテンで当時皆と同じように顔が引きつっていたようです(笑)中田氏は5歳くらい年上ですし、体育会系ですのでかなり怖かったのではないでしょうか(笑)
この2人、どちらも女子バレー界では伝説級の2人ですからどちらが新監督になってもおかしくないと思います。個人的にはまず中田氏でやってみて欲しいですね!あの怒鳴り声がまたコートに響くのを聞きたい!
さあ、どちらになるのでしょうか?