こんにちは( ^_^)/~~~

昨日衝撃の報道がありました。俳優の成宮寛貴さんが突然の芸能界引退!引退報道の数日前にはフライデーの薬物使用疑惑報道があり、その事が発端での引退劇でした。どこに真相があるかはわかりませんが、少しまとめてみました。

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成宮寛貴プロフィール

別名義 平宮博重(旧芸名)
生年月日 1982年9月14日(34歳)
身長 172 cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画・テレビドラマ・CM
活動期間 2000年 - 2016年
配偶者 無(未婚)
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主な出演作品

2000年に、宮本亜門演出の舞台『滅びかけた人類、その愛の本質とは…』のケイン役で俳優デビューした。この時は、「平宮博重」名義で出演していた。翌2001年に『溺れる魚』で映画デビュー、2002年にはJ-PHONE(当時、後のソフトバンクモバイル)のCMに出演するとともに、日本テレビにて放映された『ごくせん』に野田猛役として出演。

2003年のTBS『高校教師』に出演。同年に封切られた映画『あずみ』にも出演。

2010年、TBS系連続ドラマ『ヤンキー君とメガネちゃん』で主人公の高校2年生・品川大地役を27歳にして演じる。同作品は成宮にとっては初の地上波連続ドラマ単独主演作であり

2012年、『相棒』のseason11から3代目相棒・甲斐享役で出演。2015年のseason13を以って卒業した。当初は2年の約束であったが、水谷やスタッフサイドの要望により1年延長された。

私は、主に相棒を見ていましたが歴代の相棒役で一番好きな俳優でした。演技もうまいし男性から見ても魅力のある俳優でした。

経歴

母子家庭で育ち、中学生(14歳)の時に母親が他界しました。成宮は高校には進学せず、引越しのアルバイトなどで自ら生計を立てて、弟には毎日弁当を作って学校へ持たせるなどして面倒を見た。「中卒の自分に何ができるか」と考え、芸能界入りする。

今回の報道

フライデーより

 まずは先週号で指摘した11月9日。成宮とA氏は前日11月8日の夜9時ごろから、六本木にあるレストランの個室で食事をしていたという。店に入ってしばらくすると成宮が「あってもいいんじゃない?」と言い出し、いつものようにA氏にコカインを買いに行くことを要求したというのだ。“パシリ”をやらされたA氏は店の外に出て、路上にたむろする外国人の売人からコカインを購入。成宮はパケ(小分けされた袋)を受け取ると、パケの中のものをスマホの上に広げたという。

「ヒロキはクレジットカードを使ってコカイン(の粗い粒)を砕き、1本の線になるようにラインを引き始めた。それから千円札を巻いて作ったストローで、コカインを鼻から吸いだしました。とても慣れた手つきだった」(A氏)

この日、二人は日付が変わるころまでレストランで過ごした。そして一旦別れた数時間後、成宮の自宅マンションで再び合流することになったという。以下は、二人が合流する前に電話で交わしたやり取りだ。

A氏「ヒロキ、今日のどうだった?」

成宮「良かったよ~。美味しかったぁ、美味しかったぁ」

A氏「どうする? もう1個、欲しい?」

成宮「チャーリー? そうね……とりあえず……持ってきて」

「チャーリー」とは、コカインの頭文字「C」から生まれた隠語のこと。使用者の間では、売買の際に直接的な表現を避けるために使われている。

12月9日発売のフライデー最新号では、成宮の自宅写真や肉声テープの詳細を掲載している。

本人引退コメント

全ての原因を作ったのは自分自身だと承知しております。心から信頼していた友人に裏切られ複数の人達が仕掛けた罠に落ちてしまいました。

この仕事をする上で人には絶対知られたくないセクシャリティな部分もクローズアップされてしまい、このまま間違った情報が拡がり続ける事に言葉では言い表せないような不安と恐怖と絶望感に押しつぶされそうです。

今後これ以上自分のプライバシーが人の悪意により世間に暴露され続けると思うと、自分にはもう耐えられそうにありません。今すぐこの芸能界から消えてなくなりたい。

今後芸能界の表舞台に立つ仕事を続けていき関係者や身内にこれ以上の迷惑を掛ける訳にはいかない。少しでも早く芸能界から去るしか方法はありません。

元々何もない自分をここまで育ててくださった関係者の皆様、本当にありがとうございました。

応援してくださったファンの皆様、こんな形で去っていく自分を許してください。

本当にごめんなさい。そして、ありがとうございました。

薬物使用については、今の所分かっていないですが成宮さんが一番辛かったのは信頼していた友人に裏切られて人間不信になったことでしょう!

成宮寛貴の生い立ち

今回の報道で初めて知ったのですが

成宮寛貴さんは1982年に東京都に生まれます。その後、弟が生まれますが、成宮さんがまだ幼い頃に両親が離婚。母子家庭で育ちます。しかも、その母親は元々身体があまり強くなく、成宮さんが中学3年生の時に他界しています。

その後、弟と共に祖母の家に引き取られますが、成宮さんは中学を卒業後、2人の生活が始まります。成宮さんは引っ越しのアルバイトなどをし、自分を犠牲にして、弟の面倒を見るようになります。朝早く起きて、弟の弁当を毎日作り、その後は仕事を送るつらい日々を送りました。

その後、あまりの辛さに家出をしたものの、行く宛もなく、わずかにあったお金も底を尽きかけたころ、新聞で新宿2丁目のゲイバーの求人が目に止まりました。

このゲイバーの求人に応募した彼は新宿2丁目に入り浸ることになり、元々幼い頃から可愛らしい顔立ちをしていた彼はあっという間に人気者になり、売れっ子となります。

デビューのきっかけ

新宿2丁目のゲイバーで働いていた成宮寛貴さんと偶然新宿2丁目に来ていたかたせ梨乃さんが初対面します。この出会いが成宮寛貴さんの運命を変えました。この後、かたせ梨乃さんから宮本亜門さんを紹介され俳優・成宮寛貴の俳優人生がスタートします。

芸能活動を始めることを決意した成宮さんは弟のいる家に戻りました。成宮さんが祖母の家を出てからというもの、弟さんは成宮さんに捨てられたものだと思い込み、毎日泣いていたそうです。その事を聞いた成宮寛貴さんは弟の面倒を自分で見るを決意し二人で暮らし始めました。

弟の学費などは全て成宮さんが支払い、弟さんもその期待に答え見事大学に合格。その後は大学院まで進み、無事に卒業されました!

この間も弟の面倒を見ながら俳優活動を続け、努力の甲斐もあり見事にその名前は全国区の俳優さんに成長。今ではイケメン俳優として多くのファンを持つ存在にまでなりました。

Aスタジオでの一面

弟からの手紙でウルウル

【弟からの手紙全文】

兄へこの度は、Aスタジオへのご出演おめでとうございます。
私も微力ではありますが協力させていただきました。
その中で兄との数々の出来事を思い出しとても懐かしく感じています。
幼少の頃は、母が出張で留守にしがちでよく二人で留守番をしていましたね。
イタズラ好きな兄は、寂しくないようにとよく私をからかい泣かしてました。
おかげで泣かされていた記憶が多いです。
母が亡くなった葬儀の時は泣いてばかりの私に
「最後ぐらいは我慢しろ。お母さんが心配で休めないぞ。これからは二人で頑張ろう。」
と涙を溜め手を強く握りながら言っていたのを今でも強く覚えています。
二人で生活を初めてからは家に帰れないような忙しさの中でも
「人気商売だから、ここでがんばらないと。」
と台本を片手に家を出て行く姿は本当にかっこよかったです。
当時、まだ二十歳ぐらいだったにも関わらず
兄は私に父のように母のように
厳しく優しく接してくれました。
そのおかげで私は進んでこれたのだと思います。
兄が当たり前のように自分の青春にかえて
弟の私を育ててくれたことに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
これからもお体に気をつけてがんばってください。

弟より

まとめ

これまで普通に暮らしてきた私なんかにはこの成宮寛貴の人生における苦労など分かるはずもなく、とてつもない衝撃でした。しかもこの兄弟愛は素晴らしいです。今回の薬物疑惑については本当の所どうなのか分かりませんが、こんなに弟思いの成宮さんに限ってそんなことはないと信じたい自分がいます。できれば潔白を証明して欲しかった。

おそらく、小さい頃から身内が弟しかおらず仲間に対して家族のような気持ちを持っていたのではないでしょうか?その仲間から裏切られたショックは計り知れないものだったのでしょう!

今後の彼の人生が良い人生であるように願わずにはいられません。

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